2025年01月19日

1989年ブラジル海軍練習艦

1989年春に来航したブラジル海軍練習艦 BRASIL U27 です。
本艦はたびたび来航していたフネです。
5月28日 晴海ふ頭に接岸しているブラジルU27です。
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ブラジル海軍の外舷色が鮮やかです。
 
翌29日朝 晴海ふ頭を離岸、出国するブラジルU27。
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晴海ふ頭は終日逆光、特に朝はどうしようもありません。
ホストシップは記録しておらずいたのかどうかも含めて今となっては謎です。
posted by ぺんきどろぼう at 09:28| Comment(0) | 晴海埠頭の35年

2025年01月12日

1996年12月の白灯台

1996年12月29日夕方です。
現在でも続く太平洋フェリー「小笠原海域初日の出ツアー」の大型フェリーが何故かこの年に限って
東日本フェリーから用船となり珍しいので撮りに行った。
そんな記憶があります。
レインボーブリッジは完成していましたが冬季の夕方で遊歩道んお閉門時間と日没を考え東京港防波堤
(通称白灯台)で「びくとり」の入港を待ちました。
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翌、30日の出港を控え晴海ふ頭に向かいます、 
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前後しますが30分ほど前に「かめりあ丸」が入港、日の出ふ頭に向かいました。
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「びくとり」は1998年に「ばるな」就役に伴い海外売却され数件船主を変えた後、船舶火災に
見舞われ座礁全損、解体売却されたとのことです。
「かめりあ丸」も海外売却されウェキによるとインドネシア・カリマンタン島航路で現役とか。


posted by ぺんきどろぼう at 11:04| Comment(0) | 晴海埠頭の35年

2025年01月04日

Yokota today

午前中から昼過ぎにかけてローパスを繰り返していました。
000番(いわゆるお団子)の色付き機で正月早々外周で過ごしていた人たちにとって
ちょっとした「お年玉」になったと思います。
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最近は「模型作り」で手が離せなかったりします。
気配を感じても外周までは出かけられず遠目で見送る日々です。
posted by ぺんきどろぼう at 19:07| Comment(0) | 日記

2024年12月21日

桶川本田飛行場1988

1988年に埼玉桶川の本田飛行場に展開していた「スカイタイパーズ」です。
T−6テキサン5機からなる広告フライトチームで「ポカリスウェット」名義で各地を飛んでいました。
操縦席横の青線と主翼上の白線を目安に目視で横一線等間隔で飛行、電気式に調整した白煙を断続的に
排出、空にアルファベットのドットを描いていくチームです。
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一般公開などではなかったのですが特に警備しているわけでもなく普通にエプロンから見物しています。
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コダカラーの飛行船も係留されています。
駐機場からランウェイまでは草原です。
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当日は展示フライト2便が行われた様子でした。
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ランウェイが思いのほか近く400mmでは見切れてしまいました。
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2番機は単座改造機です。 
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胴体ポカリスウェット表記の波型マークの先端に気体のシルエットが加えられています。
 
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上空通過時に白煙を出すテキサン3番機。
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ところで「T−6テキサンのプロペラ(実物)が店頭の軒先に鎮座していた老舗の模型店」
東京江東区門前仲町のピンバイスさんが閉店するとのことです。
店主が9月に亡くなられたとのことで10年ほど前にワンオペ店舗となっていたこともあり
残念ですが仕方のないことなのでしょう。
都下に転居してから疎遠になってしまい前回訪れたのは免許証更新で東陽町まで行った折でした。
また更新が近づき何気なく検索してきたところ訃報に触れました。
年末に閉店セールを行うとのことですが事前申し込み制とのことなので常連さんたちだ優先される
べきと考え遠慮することとしました。
posted by ぺんきどろぼう at 18:30| Comment(0) | コダクロームmemorys

2024年12月15日

鳩からのアホウドリ

ピジョンから「鳥つながり」で。
1995年3月28日早朝、晴海ふ頭に接岸したALBATROSです。
6時入港予定で有楽町駅前からタクシー使ってギリだったと憶えています。
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国内他港からの移動だったからか回頭せずにこのまま左舷接岸となりました。
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たしか90年代末にIMOの客船の船舶火災に関しての規則改正があり古く乗客数の少ない
客船では改造コストの折り合いもあり対応が難しくなりました。
その結果、本船のような「味のある船姿」の客船の多くが現役を離れることとなります。
以後は海上高層リゾートホテルみたいなクルーズ客船ばかりに。

posted by ぺんきどろぼう at 09:41| Comment(0) | 晴海埠頭の35年